ユニセフが定めている
「子どもの権利とスポーツの原則」
10箇条
①子どもの権利の尊重と推進にコミットする。
②スポーツを通じた子どものバランスの取れた成長に配慮する。
③子どもをスポーツに関係したリスクから保護する。
④子どもの健康を守る。
⑤子どもの権利を守るためのガバナンス体制を整備する。
⑥子どもに関わるおとなの理解とエンゲージメント(対話)を推進する。
⑦スポーツ団体等への支援の意思決定において子どもの権利を組み込む
⑧支援先のスポーツ団体等に対して働きかけを行う。
⑨関係者への働きかけと対話を行う。
⑩スポーツを通じた子どもの健全な成長をサポートする。
スポーツ指導に関わる一人の人間として
「指導者による暴力や暴言」というニュースには
敏感にならざるをえません。
それがどのようなスポーツでも同じですが、自分が関わっているスポーツであればなおさら、です。
冒頭に挙げた10箇条
①〜⑥、そして⑩
当たり前のことばかり
改めて読み返し、自身を振り返ってみました。
これを言うと、まさに老害の一歩手前かなと感じるのですが「私たちの現役時代は」厳しい指導は当たり前だったように感じます。
同年代の方と話をしていると、部活動で先生や先輩に厳しく指導された話は、いくらでも出てきます。
幸い、私は自身のバトン経験で、一度も無意味に厳しい先生や先輩に出会ったことはなく、ハラスメントも経験がありません。
厳しい指導はありましたが、それは理不尽なものではなく、上達のために必要なものだったと感じます。
特に中高の部活動は、当時は上下関係に厳しい方だったと思いますが、そこでの経験が自分の財産となっていることも確かです。
どこまでが指導で、どこからがハラスメントか
どこまでが叱咤激励で、どこからが暴言か
改めて考えてみると曖昧な気がします。
自分の中にあるラインは明確なのですが、そこが他人ともイコールかというと、そうではなくて、、
人によってその理解は異なり、そのことが問題が起こる原因になっているのかもしれません。
ハラスメント→人権侵害
発言や行動で尊厳を傷つけたり、脅威を与えたりすることですね。
上下関係や師弟関係などで起こりやすいと言われています。
現場で指導をしていると、当然のように「じゃぁ、次は○○して」と指示する状況が生まれます。
どんな指導者も、生徒に対して指示するのは普通のことだと思うのですが、それがいつしか命令になり、、時に強い言葉だったり行動だったりということになり、、結果、ハラスメントになっているケースがあるのかもしれません。
指導する上で、何を一番に考えているか
それは指導者によって異なると思いますが、
私の場合はまず「バトンを楽しんでもらいたい」ここが一番。それから、バトンを好きになってもらうこと。そして好きだからもっと頑張りたい!もっとうまくなりたい!という気持ちを育てること。そして、バトンはいろいろな形で楽しめるものだと知ってもらい、長く続けたり、関わってくれる生徒やOGが増えること。
これが、自分の中で理想とする形です。
もちろん
結果も大切だし、スキルアップも大切です。
学校の部活・教育の一環として存在するバトンではなく、フェニックスのようにお稽古事として存在するスクールのバトンは、お月謝をいただいて生徒を預かっているのですから「今日も楽しかったね〜」だけではダメなこともよくわかっています。
お月謝をいただく以上、生徒が上達するように導く責任があります。その責任感や情熱が間違った力を持つと、暴言になり、生徒の人格否定、つまりはハラスメントになってしまうのでしょうか。。
なんともやるせない気持ちになります。
スポーツ界での暴言や暴力の記事を目にするたびに、「これは指導ではなくて、明らかに人格否定」だと感じることがとても多いです。
身体的特徴を指摘したり、理解の速度を人と比べたり。それが人格否定だと理解できない人は、指導者を名乗る資格はないと、個人的には思っています。
ハラスメントを行っている当の本人には、全く気付きがなく、反省もなく、もしかすると「上達のために必要なこと」という正義感すら持っているかもしれませんよね。恐ろしいことですが、、
だから私は、常々スタッフさんとの風通し、保護者の方との風通しを良くしたい。
そう思っているのです。
フェニックスは小さい団体ですが、私自身、代表として何かが起こったら責任を取る立場にあることを充分自覚しています。
コーチ、今のはちょっと違うかもしれません。
先生、あの言葉はちょっとどうですかね。
様々な視点、立場から見ることはとても大切ですよね。自分だけでは見える部分って限られていますし、考え方の幅だってしれています。
自分では正しいと思っていたことがもしかしたら違っているかも。それを見てみぬふりではなく、ちゃんと言ってもらえる環境を、常に作っておきたいのです。
楽しい!と思えることが第一なのに
それを忘れてもし結果を残すことが第一、となったら?おそらく、生まれつき身体的能力が高く、センスがあり、飲み込みも早くて、レッスンに通う環境も整っていて、バトンの選手としてとても適正がある!!というメンバーしか残らなくなるでしょう。
将来プロを目指すなら、それでいいと思うんですね。でもそうではなく、長い人生の中の彩りの一つとしてのバトンならば、やはり自分自身を大切にして、自分で考えてレッスンにきて欲しいですし、自分の気持ちでバトンに向き合ってほしいと、そう思います。
命令されるからやる、怒られるのが嫌だからやる、、、そうはなってほしくありません。
ハラスメントに敏感になるあまり、生徒や保護者さんの顔色をうかがってご機嫌を取ったり、出来てもいないのに褒めちぎったり、それもまた全く違っていて。
生徒に対してレッスンにおいては毅然とした態度であることはとても大切です。
レッスン中の甘やかし、馴れ合い、良いことは一つもないと認識しています。
ただ、大切なのは厳しさの中にも、相手をリスペクトする気持ちがあるかどうか。
例え対象が幼児さんであっても、入門レベルの生徒であっても、です。
生徒をリスペクトする、というと違和感を感じる方もいるかもしれませんが、一人の人間としてリスペクトするのが当然だと考えます。
生徒に限らず、保護者の方も、スタッフさんも、関わる人一人ひとりを、立場に関わらずリスペクトすることで、自ずと自分が取るべき正しい行動が見えてきます。
また、それは生徒や保護者の方から見ても同じで、仲間をリスペクトしているか、指導者をリスペクトしているか。
立場を勘違いして、出過ぎた発言をしていないか、逆ハラスメントになっていないか。
そういうことを考えた時、やはり人に対して丁寧に向き合う心は忘れてはいけないな、、と思いますね。
50人生徒がいれば、50通りの取り組み方があり、考え方がある。
個性も50通り。成長速度も50通り、みんな違って当たり前です。
50人が人生の中で一番大切にしているものは、その人にしかわからないし、それこそが多様性だと思うんですよね。
生徒やスタッフ、保護者さんをリスペクトし、同時に多様性を大切にしたいです。
家庭も、仕事も、勉強も、部活も、旅行も、家族行事も、レジャーも、恋愛も、推し活も、普通なら「え!?」と思われるかもしれませんが、、それを認めているのは常に上に書いたような気持ちがあるからなんです。なんで練習休むの?と腹をたてるのではなく、いいね、楽しんできて!次レッスン来た時はその分頑張ろな!と、常にメッセージを発信しているつもりです。
怒鳴って、競わせて。罰則をつけて、意味のないハードな課題を課して。この世界は甘くない、そんな気持ちじゃ何もできないと言い放つ。愛のムチ、という言葉で片付けられる時代では、もうありません。
自分が大好きなバトンの世界で、暴言暴力のニュースを目にして、本当に悲しく、辛く、色々と考えたので今回のブログを書きました。
指導者資格を取る際に、様々なコンプライアンスについて学ぶはずなのに、それが置き去りにされている現状があるとしたら、本当に悲しいことです。
指導者には、父性と母性の両方が必要なんだそうです。規律・法律をもとに倫理性を強調する父と、無理なものは無理だよね、と情緒性を持つ母。つまりは、硬軟織り交ぜた指導の工夫が必要で、その根本にプレイヤーをリスペクトするというフェアプレーを忘れてはならないと。
私は父性と母性、両方あるでしょうか・・・
やはり、自分を客観的に見るのはとても難しいですね!
常に風通しがよく、生徒が心身ともに安心安全な状態でレッスンに通えるよう、これからも気を引き締めて頑張りたいと思います。