私たちの夢

私たちの夢

今日は京都バトン研究会本校さんの発表会にお邪魔させていただきました。

なんと創立50年!!歴史の重みを感じます。

 

本当はお花の写真などをアップしたかったのですが

なぜかブログサイトのご機嫌が悪いようで・・・

うまくアップできないので、文章ばかりになりますがお許しください。

(たまにしか開かないので、サイトの機嫌を損ねたのかもしれませんww)

 

 

京都バトン研究会本校さん(以下、本校さんとさせていただきます)は

1974年に創立された団体です。

私が1975年生まれなので、ほぼ同じ年齢で・・・

私が所属した最初で最後のバトンスクールが本校さんなので

これも何かのご縁なのかもしれません。

 

 

私は、学校の部活動でバトンに出会い、そこから今までずっとバトンを続けています。

(部活動の思い出などは、また次回のブログで!)

当時は今以上に「バトンって何??」「コメットさんの、あれ?」というような時代だったので

バトンスクールに通うこともメジャーではなかったと思います。

 

部活動でバトンがあることも、珍しかったのではないかなぁ・・・

 

中高の6年間、どっぷりバトンに浸かっていた私ですが

学校の部活動には必ず終わりが来るんですよね。卒業(引退)と同時に。

私がいた時代、引退は高校3年生の6月だったのですが

生活からバトンが無くなることが考えられないくらい

バトンにどっぷり・・・だったので

 

「引退した後、どうしよう」

「バトンしたいけれど、どうしたらいいのかな」

 

真剣に毎日悩んでいたことを、今でもよく覚えています。

 

そして、勇気を出して・・・

部活動の指導に来てくださっていたコーチに

「引退してもバトンがしたいんです」と相談したのが

本校さんと私の出会いでした。

コーチが、本校さんの方だったんですね。

当時は、いくら最高学年であっても

コーチと気軽に話が出来るなんていう雰囲気は全くなくて

私にしたら、コーチは「雲の上の存在」

 

私、一応部長をしていたのですが、それでも気軽に相談したり、、

とてもじゃないですが、そういうことは出来なかったんですね。

 

なので、何日も悩んで

どのタイミングで話せばいいのか考えて

 

指導が終わって帰ろうとしているコーチを

追いかけて行って

 

「実は・・・」

と相談をしたんです。

 

その時のコーチが

「それなら、うちのスクールに来たら?

いつでも見学に来たらいいよ!」

と快く受け入れて下さいました。

 

それから毎週日曜日の午前中に

スクールに通う日々がスタート!

当時、京都駅の近くにあった近鉄文化サロンというカルチャースクールなどが

入っている施設に、ドキドキしながら足を運び

バトンスクール、というものを初めて知って

新しいことを習うたびに嬉しくて

パレードやイベントに参加できることが嬉しくて

レッスンが待ち遠しくて仕方なくて・・・

 

今でもその時のレッスン場を覚えているくらい、

記憶の深い部分にある思い出になっています。

 

幸い、バトン部のある大学だったので

大学生時代はスクールと大学のチームの掛け持ちをしていました。

今のように、登録関係で複雑なことがない時代だったので

大学でも、スクールでも、本当に気持ちよく恵まれた環境で

バトンが出来たことは

とても幸せなことだと思います。

 

大学の頃、私をスクールに導いてくださったコーチが

ご結婚のためにバトンをやめられることになり

「私の後継として、学校の指導してみない??」と

声をかけてくださったことが

私が指導の道に入るきっかけとなりました。

 

あの時のコーチの言葉がなければ

全く違う人生だったかもしれないし

フェニックスも存在していなかったかもしれません。

 

コーチの指導日についていって、指導の仕方を見て学び

作品作りを学び

簡単なルーティーンを創作して

それを添削していただき

勉強になるから!と全国大会なども見学に連れて行っていただき

学校指導の基礎を学びました。

 

スクールでも少しずつアシスタントのような形で

お手伝いをさせていただいて

最初は幼児さんの指導アシスタント、そして小学生の指導アシスタント、、

慣れてきた頃、一つクラスを持たせてもらい

 

同時進行で指導の勉強と資格取得

 

指導者資格を取った後はジュニアチームの振付を任せてもらえるようになり

合宿の引率や大会の引率、事務仕事、生徒の前での立ち居振る舞いなど

ありとあらゆることを学ばせていただいたのが

本校さんに在籍していた10代後半~20代です。

 

15年前、様々な思いが抑えられなくなり、独立をしたい、と相談した時

快く送り出してくださった山本先生には、今も感謝しています。

 

この立場・この年齢になったからわかることですが

スタッフの独立・生徒の移籍など

人が動くことは、捉え方次第で「陽」にも「陰」にもなりますので・・・

 

当時の自分は、その意味がどこまでわかっていたか・・・

若気の至りで、ものすごく失礼があったのではないか、と

心配することが今でもあるのですが

「真知子先生やったら頑張れるよ。新しいチーム名は

私に考えさせてもらっていい??」

山本先生の懐の広さ・・・

 

活動拠点となる宇治

平等院鳳凰堂の鳳凰にちなんで「フェニックス」という名前を

考えてくださったのは

他でもない、山本先生なんです。

 

 

私の、バトントワラーとしての原点は、学校の部活動ですが

バトン指導者としての原点は、本校さん。

 

今日、寄せていただいた発表会では

創立者の須川先生にはもちろん

懐かしい先輩方にもたくさんお会いしたり

当時、アシスタントしていた頃に関わっていた生徒さんに再会したり、と

とても幸せな時間を過ごしました。

 

「真知子先生!〇〇です!覚えていますか??」

関わっていたのは小学生の頃ですから、さすがに・・・

でも面影はある!!そして、みんなとっても美しく成長されて

中にはママさんになっている方もいて

 

そういう部分からも、歴史の重みを感じました。

 

2部構成の舞台では

一つひとつの作品が、メンバーの皆さんによって

丁寧に演じられている様子が伝わってきて

全ての作品に、大きな拍手を送りました!!

 

小さいメンバーさんもとてもしっかりと踊っていて

がんばって練習したんだね、すごいね、、!と

まるでおばあちゃん気分(笑)

 

今ではあまり見ることが無くなった懐かしいフラッグやリングバトン

(今の世代の方は、知らないかも??)

なんと、私が在籍していた時に着ていたチアコスチュームも健在!!

山本先生が物を大切に使っておられることが

そういった部分からも感じられ

胸が熱くなりました。

 

作品内で出てきたパレードストラットは

本校さんが代々続けて演技されているもので

もちろん私も完璧に踊れます!

(一緒に踊りたくてウズウズしていましたww)

 

シンプルな舞台構成ながら

テーマが明確で、見せたい部分がしっかりとフォーカスされていて

何より、メンバーさんの表情が本当にイキイキと輝いていて

「バトン大好き!!!」が

身体中から溢れて・・・

 

あぁ、バトンって本当に素敵だな。

 

そう何度も感じることが出来ました。

幸せな時間を共有していただき、感謝しています。

 

司会も素晴らしかったです!!

思わず聞きほれてしまうイケボ♡でした。

(フェニックスの20周年司会、ぜひお願いしたいです・・・!)

 

 

ラストの演出・・・

メンバーの皆さん、そして山本先生の「夢」

たくさんの夢が語られる中、山本先生の夢は

「誰もが自分らしくバトンを楽しめる変わらない居場所で在り続けたい」

※プログラムのお言葉引用させていただきました。

 

素晴らしいなと思います。

同じ京都で活動する団体として

私たちフェニックスバトンチームも、本校さんのように

自分らしく、清々しく、バトンを楽しめるように頑張ろう・・・!と

気持ち新たに、そう感じました。

 

 

終演後、少しお話させていただいた山本先生の瞳には

うっすらと涙が光っていたように見えて

普段、とてもクールで冷静な方なのでその涙の重みが、、

これまでの歩み、先生の想いがすべて

現れているような気がして

思わず私も涙が・・・

 

 

それがどのような規模であれ、物事を形にすることの難しさ。

これは、その立場になってやってみないとわからないことなんですよね。

メンバーさんの数だけ、本人たちの想いがあり

メンバーさんの数だけ、保護者さんの想いがあります。

重ねた年数の分だけ、立てなければいけない部分もあるでしょうし

重ねた年数の分だけ、関わる人も増えるでしょう。

 

資金が集まり、メンバーが集まり、会場が整えば発表会が出来るのではなく

それはスタートに過ぎないんですよね。

これだけの作品を作り、仕上げ、人前で踊れるところまで完成させる苦労は

計り知れないものだと思います。

想いが集まるということは、様々な意見が出るということで

代表者としてそれをまとめていくことの大変さは・・・

やった人にしかわからないのではないでしょうか。

 

 

山本先生、本当にお疲れ様でした。

良いステージを見せていただき、刺激をいただき、本当に感謝しています!

そして制作スタッフとして諸々を一手に引き受けてこられた

スタッフの方、メンバーさん、

裏方を支えてこられた保護者さんや関係者の方々

本当にお疲れ様でした。

 

 

一つだけ、心残りがあるとしたら

私自身も本校さんのOGという立場でありながら

お手伝いが何一つできなかったことと・・・

当日はもったいないくらい、良いお席で見させていただいたことでしょうか・・・

先輩方が受付お手伝い等されているのを見て

「本来、私が進んでお手伝いすべきことなのに・・・」と、

とても申し訳なく感じました。

 

次回、60周年の節目には

ぜひお手伝いさせていただきたく

今から山本先生にお願いしておこうと思います(#^.^#)!!

 

 

素敵なメンバーさんに囲まれて

ますますお元気で60年、70年・・・と

歴史を重ねられることをお祈りしつつ

 

私も、「フェニックスの夢」を大切に

これからもバトンに関わっていきたいと思います。

 




instagram


goheader