日々考えている事

日々考えている事

バトンの指導を始めてから30年が経ちました。

短くない年月だと思います。

 

その間、本当に色々なことがあったなぁ、、と時々思い返すことがあります。

嬉しいこともたくさんありましたが

やはり嫌な記憶や辛かった思い出・失敗の方が鮮明に残っているんですよね。

これは私だけなのか、、それとも私が人よりもマイナス思考なのか、、

理由はよくわかりませんが

 

今は、嫌な記憶や失敗は、自分が同じ過ちを繰り返さないように、という

教訓のようなもので

だから記憶から消えないのだと。そう捉えるようにしています。

 

一方で、嬉しい記憶というものが消えがちであっても

また物事が起こった時に・・・

「嬉しい!」「幸せ!」を感じることが出来ますし

ある意味、新鮮な喜びを持って自分に届いてくれるんですよね。

 

何事も捉え方ひとつで変わります(#^.^#)

 

 

嫌な記憶、について触れましたが

今はまさにバトン界にとって「忘れてはいけない大変な時期」です。

日々指導をし、バトンに関わっていても

頭のどこかに事件のことは残っていますし

直接関係がないとはいえ、「他人事」で済ませることはできない。

立場的にも、考えること・悩むこと・本当に多くて

毎日モヤモヤと・・・心の中がすっきりしません。

 

ぶっちゃけて本音を言うと

その対応、おかしいのでは?

そう思うことも少なくないのに

アクションを起こせない自分自身にもイライラします・・・

 

とはいえ、私は団体代表(規模は小さいけれど)という立場であり

大切なメンバーたちの先頭に立つ人間です。

自分の気持ちがどう、というよりは

常に「生徒を守る」が最優先であり

「生徒たちが気持ちよく、安全に、大好きなバトンに

正しいルートで取り組めるように」という揺るぎない軸があるんですね。

 

モヤモヤは否めませんが

大切なメンバーを守るために

自分が出来ること、協会組織の一員としてやるべきこと、を

冷静に考えていきたいと思います。

 

メンバーにも

保護者の皆さんにも

きっと色々な考えがあると思いますし

今の協会対応等には、疑問やご意見もあるかと想像します。

私自身は、なかなかアクションを起こすことが出来ていませんが

今後のバトン界がよりよくなっていくよう

努力を惜しまない覚悟ですので

引き続きご理解とご協力をよろしくお願いいたします。

 

今回のことがあり

「指導する」「先生という立場」について

考えることがとても多くなりました。

 

習い事ですから

生徒さんや保護者さんに選ぶ権利があるんですよね。

これが学校教育との違いかな、と思うのですが

決められたところに行く。大前提があるわけではなく

数ある教室の中から、好きなところを選ぶ。

同業の先生方や教室運営と比較され

選んでもらえたら通ってもらえる。

 

こう書くと、完全に受け身に見えますが

そうではなくて・・・

〇選んでもらえる工夫

〇比較された時に輝ける独自性

そういった部分は、完全に自分の努力にかかっているんですよね。

 

何を教室の理念とするか

どういった活動をメインでアピールしていくか

SNSをどう活用するか

興味を持ってもらえる工夫ができるか

生徒一人ひとり、保護者さんの考え方一つひとつ、

どれくらい丁寧に寄り添えるか

書き出したらキリがありませんが

全て、自分の努力で出来ることなんです。

 

 

バトンの先生は何でも屋さん。

振付・指導・企画・運営・衣装・スケジュール管理・体育館確保

広報・経理・楽曲編集・会議・大会引率・メンバー管理、、

多くのバトンスクールが

これらの仕事を先生が自分でやっているのではないかな。

フェニックスバトンチームでも、創立当初はそうだったのですが

今は出来るだけ、スタッフの先生やシニアメンバーに仕事を手伝ってもらうように

しています。

年齢を重ねることを否定的には捉えたくありませんが

どうしたって衰えは否めません。

いつまでも現場や企画の中枢に居座り、口を出し続ける老害にはなりたくないので(笑)

意識して後進指導中なんですね。

若い感覚の方が、何事もスムーズです!

とはいえ、簡単に済ませすぎるのでは??と気になることがあれば

ちょっとアドバイスをしたり・・・

「任せたからよろしく~」だけでは、単なる無責任な人間ですからね。

 

 

上に書いたように、バトンの先生は何でも屋さん。

これは、私が指導をしてきた30年で

身をもって実感していることなのですが

結論から言うと

「教えるって、そんなに簡単なことではない」

ということでしょうか。

これについては、声を超!!!大にして言いたいです(笑)

 

 

しょっちゅう流れてくるSNS

気になるなら見なければいい、がSNS活用のルールですが

私の場合は「情報収集のため」に見ていることが多いんですね。

人のバトンライフに興味があるわけではなく

同業者としての情報収集です。

情報も、自分から積極的に取りに行かなければおいていかれるので。。

今の立場で仕事をする以上「何も知らなかった」で済まされることは少ないです。

 

SNSを見ていて痛感することは

本当に自由な時代になったなぁ、、ということでしょうか。

踊るのも自由、習うのも自由、回すのも自由、掲載も自由、

発言も自由、、自由のオンパレード!!

 

ガチガチの昭和人間なので、まずは外で踊っている動画などを見ると

「それって許可とか取らなくて大丈夫な場所なの・・・?」と

心配になります(笑)

なぜかというと、昔公園でバトンを練習していた時に

「危ないから棒を回すのはやめて!」と注意された経験があるから。

確かに・・・今はボール遊びもNGの公園があるくらいなので

バトンなんてもってのほかですよね。

 

初対面でもDMで簡単に繋がって

希望すればどんな人でも、自分の先生を通さずに連絡がとれて

世界レベルの選手から教えてもらえるような

そういう自由なスタイルこそ、今の時代にあったスポーツの広がり方なのかなと思いつつ

 

自分が知らないところで

生徒が他の先生から指導を受けて、どんどんうまくなっていたら・・・?

びっくりしますよね(笑)

 

バレエやダンスの世界では「オープンクラス」というような

所属やキャリアにとらわれないレッスンスタイルもあるようですが

バトン界ではまだまだ・・・

近い将来、そういったレッスンが普通になる時が来るのかもしれません。

 

 

うーん、我ながら考えが狭いなとは思うのですが

私も人間なので(笑)もし自分がこの「何も知らない先生」の立場だったら

めっちゃ落ち込むだろうなと思います。

生徒がうまくなるのに、落ち込む必要ないやん!!と言われそうですが、、

いやそうなんだけど、、でもね、、複雑な心境(-_-;)

こうやって考え方が狭いことが

バトンの普及発展を妨げているのかな~~

 

 

昔(名前は忘れてしまいましたが・・・)

色々なスポーツの、悩みを抱えた教室やスクールが

「助っ人で先生を呼ぶ」というような趣旨のTV番組があったんです。

 

時々見ていたのですが、いつもどこか複雑な思いがありました。

 

例えば、

〇全く勝てない野球チームがプロ野球選手の指導を一定期間仰ぐ。

〇予選落ちばかりのスケート選手が有名選手から教えを受ける。

そういった感じです。

 

ある一定期間指導を受けて、それこそ芸術スポーツであれば

振付などもしてもらったり

大会や競技会で成果を出す!!という企画なんですね。

 

 

プロの選手や、世界レベルの選手からの指導ですから

それはもう面白いくらいに成長をしていって

視聴者としては番組に引き込まれる。

スパルタ指導もあり、ものすごい課題量もあり、

時には泣きながらくらいついていって・・・

 

「こんなに上手になった・・・!」

「予選落ちばかりしていたのに決勝まで行けた!!」

ドラマティックな結末を迎えるのですが

 

 

私が見ながらいつも頭の中にあったのは

「普段、この人たちを指導しているコーチや先生は

どんな思いでこの成長を見ているのかな」

番組が伝えたい趣旨とは全く違う視点で見てしまっていました。

 

 

バトンに限らず、基礎を教えるのが何よりも難しいのです。

「やってみたい!」という熱意があって始めた習い事でも

いざやってみるとコツコツした練習が必要だったり

時には痛みや怪我と向き合ったり

なかなか超えられない壁も出てきたり

必ずそういう感情と出会います。

その時に、いかに競技の楽しさを伝え、やりがいを伝え、

基礎の大切さを根気よく伝え、出来た!喜びを伝えられるか

これって本当に難しいことなんですよね。

 

バトンも同じですが、ある一定のレベルで出来るようになってくると

基礎を習った時のことなんて忘れてしまうと思います。

でも、指導者の立場で言わせてもらうと

「その時期の指導が一番難しい」

 

番組で取り上げられている選手たちが

どうか基礎を教えてくれた先生たちへの恩を忘れずにいてほしい、、

そんなことを毎回思っていましたね。。

 

バトン界でもチームの移籍はよくあることなので、そのたびに思います。

移籍する理由がなんであれ、自分に基礎やバトンの楽しさを教えてくれた先生へのリスペクトは

絶対に忘れてほしくないな、、と

 

自分のところに生徒が移籍してきた場合は

必ずそのことを伝えていますし

関係が良好な移籍であったならば

その後も折に触れて、その生徒の成長や活躍を

先方の先生に伝えるように心がけています。

 

 

嫌な記憶は残りやすい、という話を書きましたが

30年の指導人生で5本の指に入る「屈辱的な言葉」(笑)

その一つが

「もっと、ちゃんと、見てあげたらいいのに。私だったら

もっとちゃんとできますよ」

 

もう何十年も前のことなので、時効だから書きますが

これはですね、、未だに言われた場所も、着ていた服も

その相手の表情も鮮明に覚えているんですよ!

(結構根に持つタイプですww)

高校生のチーム指導をしていて、まさに本番当日でした。

腹が立つ、というよりはビックリ!!で。

あとから沸々と怒りが湧いてくる・・・(笑)

 

「いや、、これが私の精一杯なんだけど・・・」

「手を抜いているつもりはないけれど・・・?」

「そんなに言うなら自分でどうぞ」

「バトンを初めて持った日から、ここに来るまで

どれくらい基礎を苦労して教えたか、この子たちが努力したか

それをわかっていたら、こんなことは言えないよね」

その時感じたことも鮮明に覚えています(笑)懐かしい・・・

あ、こんなに腹が立つということは

自分にも指導者としてのプライドがあるんだなと自覚した瞬間でもありました。

 

 

目の前にいる人に、スキルを教えるという指導。

例えば体験会、とかですね。

それなら「バトンを回せる」人なら誰でもできると思うのですが

 

指導ってそういうことではないんですよ。

 

バトンがうまいからできるのではありません。

むしろ、バトンのスキルよりも

もっと大切なものがあると考えています。

 

コンテストの審査をしていても

「あぁ、もっとつま先・・・」

「ここの回し方・・・」

気になることがあったとしても

常に思うのは

「この選手の今の最善が、この演技」

「指導された先生も、まだまだ不足があることは全てわかったうえで、

最優先で指導すべきところを指導されたのだろうな。」

というリスペクトなんですね。

 

その道のりを何も知らない(知ったような)第三者が

「なんであの足とか、直さないんだろうね~」

「もっとちゃんと見てあげたらいいのに~」

もう、、なんで言うかな。それを。

こういう言葉にとても違和感を感じます。

 

チームも同じ。ソロも同じ。

そのチームや選手がフロアに立つまでに、選手本人が頑張ったのはもちろんですが

指導者もどれだけの苦労をしているか・・・

基礎から根気強く人を育てることがどれほど大変なことか・・・

簡単に言う人には、ぜひやってみたらどうですか。と言いたい(笑)

 

私は学校の部活でバトンに出会い、その楽しさを知り

ある意味バトンの沼にどっぷりハマって今があるので

基礎を教えてくれた学校部活バトンを常に大切にしています。

今も指導を続けているのは、私をこの世界に導いてくれたことへの恩返しでもあるんですね。

さらに、指導者としての第一歩から今に至るまで、本当にお世話になっている京都府バトン協会への

思いも強く、指導者として育ててもらい、活動の場をもらっている感謝と恩返しを少しでも・・・

そんな想いから、協会の仕事も積極的に取り組むようにしています。

 

恐らく、そんな私の姿に共感してくれるから、フェニックスバトンチームでは

シニア層になると自然とみんなが運営に力を貸してくれたり・・・

 

スタッフの先生の立ち居振る舞いを見て、シニアメンバーやジュニアメンバーが

そのあとをしっかりついてきてくれたり・・・

 

自分がバトンをする意味。ですよね。

勝利至上主義で育つと、これはなかなか難しいのかもしれません。

 

 

自分の周りで深い繋がりやあたたかい絆を感じるたびに

「いや、もっとちゃんと教えたらいいのに」

「移籍しました」

「指導とかしてみようかな~」

簡単に行われるそれらに

いや、、そうじゃないんだよ、、

全部、ちゃんと、繋がりと意味があるんだよ、、

指導とか簡単じゃないからね、、

みんな本当に勉強して、苦労して、考えて考えて

現場に立っているんだからね、、

モヤモヤと違和感(笑)

 

 

「毎日をその日の収穫高で判断せず、蒔いた種で判断しなさい」

ある有名な文豪の言葉ですが

幅広い年齢・幅広いキャリア・幅広い団体活動を指導するなかで

私が蒔くべき種は何か。

自分なりに答えを見つけて、これからもコツコツ頑張りたいと思います。

 




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