ひたすら我慢の時期です。
こんな状況になるとは思ってもいませんでしたが、、
いざこうなってみて思うこと。
体育館が閉鎖になり、イベントがなくなり、大会がなくなり、習い事どころではなくなり、、
今まで当たり前のように毎日レッスンをして、バトンを触って、生徒とかかわりを持っていたことが、なんて幸せだったのかと。あたたかくて平和で幸せで、本当に満たされた時間だったのかと。
当たり前なんてどこにもないはずなのに、、
とはいえ、どんな状況であっても時間が流れていくのは確かなことで
何もせずにどんどん過ぎる毎日と
何か行動する毎日では
その後が大きく変わってくることはいうまでもありません。
あれもダメ、これも出来ない、どうせやったところで先が見えない、、とマイナスにとらえるのは残念。
今だから出来ることをたくさん探したいと思っています。
というわけで、実はあれこれチャレンジしているんですよね~(#^.^#)
いつもは、やりたくても時間がないのを理由にしてできなかったこと。
アイデアは出るものの、実行に移すまでの力が足りなかったこと。
時間のなさを理由にして、丁寧に関われなかったこと。等々。
ちょうど年度末ということもあり、生徒それぞれがバトンとの向き合い方について考える時期でもあります。
保護者の方からの相談に耳を傾けたり、一緒に未来を考えたり、
生徒個人と話をしたり、練習の方向や計画を練ったり
そういったことも、いつもより丁寧に出来ていると思います。
普段通り、現場でのレッスン漬けであれば、、なかなか取れない時間ですね。
一人ひとりのバトンとの向き合い方。これはトワラーがバトンから距離を置くまで
ずーっとついていて離れない課題だと思います。
将来の仕事や夢のためにバトンを置くのも選択肢の一つ、、
もう充分やり切った!悔いなし!!と思ってバトンを置くのも選択肢の一つ、、
そこに至るまでのバトン人生は、一人ひとり違っていて。
バトンを始めたきっかけは他力(例えば、お友達に誘われて。とか、お母さんにすすめられて、とか)だった子も多いかもしれませんが
それを長く続けられているということは、自分の意思がそこにあるからなんですよね。
バトンをしたい。バトンが好き。もっとうまくなりたい。
人から言われたり、誰かと一緒に、、というのでは、いつか限界が来ますから。
フェニックスバトンチームには、色々な形でバトンと向き合っている子がいます。
これは私の自慢の一つでもあって
「こうしなければならない」というルールは、何もありません。
ルール、、というか、私が保護者さんや生徒に常々言っているのは
〇どうしたいか、どうありたいか、という意思が明確であること
〇楽しく一生懸命!がんばれること
〇そして一番大切なのは、日々の生活と学業(または仕事)での居場所をきちんと作り、そこでやるべきことを果たし、バトンはその次であること
バトン最優先じゃないの!?と言われるかもしれませんが、全くそうではありません。
むしろその逆です。
バトンだけ上手でもダメなんです。
社会の一般常識・礼儀作法・学業や仕事をおろそかにしないこと、そういった中において「バトンで得た忍耐力や精神力・協調性」を生かせる人間になってほしい。そこに尽きます。
世間がこのような状況にあるとき
「自分さえよければいい」のか
「みんなで助け合い支え合う」のか
少ししか売られていないトイレットペーパーを、一人の人が全部買い占めてレジに並んでいるのをみると、本当に心がさみしくなります。。
少ししか売っていない袋入りのマスクを、見知らぬお客さんが譲り合って必要な分だけ購入している姿を見るとホッとします。
自分も、どんな状況にあっても迷わず正しい選択が出来るような大人でありたいと強く思います。
レッスンでも同じで
自分がのびのび場所を使えたらそれでいいのか
今日は参加者が多いから、限られたスペースで出来る練習は何かな?と頭を使えるのか
コンテストや選手権・イベントなどでも
自分の出番が終わったらそれでOK,人の演技なんて興味もないのか
どんな団体でもどんな人でも、精一杯の演技に対して拍手ができるのか
自分にとって得がないと動かないのか
やってもやらなくてもどっちでもいいときに「やめとこ」と消極的な選択をするのか
人は、何かを選択する場面や、非常事態になって初めて
その人間性があらわになる、、ということがあるんだなぁと改めて気付かされました。
フェニックスバトンチームのメンバーにも、正しい選択が出来る大人になってほしい。
心からそう願います。
今だからできること。今だから考えられること。今だから見えること。
すべて、無駄にしないように・・・